正保4年(1647年)、庄内藩主・酒井忠勝の三男忠恒が2万石を分知されて松山藩を立藩し、寛文年間頃に中山村へ堀をめぐらせた陣屋を構えたのが松山城の始まりとされる。3代藩主・酒井忠休は若年寄を務めた功により城主格を得て、天明元年(1781年)から城郭への整備に着手した。戊辰戦争後の慶応4年(1868年)9月に新政府軍へ開城・引き渡され、廃藩後は敷地が払い下げられて建物の多くが取り壊された。現存する大手門は寛政2年(1790年)の落雷で焼失した後、寛政4年(1792年)に再建されたもので、昭和45年(1970年)に山形県指定有形文化財となった、県内で唯一現存する城郭建築である。