さらさら越え——雪の立山を越えた佐々成政の決死の単独行
1585年冬、佐々成政は徳川家康に秀吉打倒の密使を送ろうと、厳冬の立山連峰を少人数で越えた。この「さらさら越え(ざらざら越えとも)」は当時の常識では不可能に近い雪中の山岳横断であり、成政の決死の行動として後世に語り継がれた。しかし家康は日和見の姿勢を変えず、交渉は不調に終わった。翌1586年、秀吉の越中征伐に降伏した成政は肥後熊本に転封されたが、一揆対策の失敗を問われて1587年に自害を命じられた。この一連の運命は戦国武将の栄枯盛衰を象徴する。