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東京メトロ南北線 六本木一丁目駅から徒歩1分
東京都港区六本木1-3-49
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穢れ祓い・心身の浄化・邪気払い。禊(みそぎ)や護摩の伝統に連なる。
御祭神「阿弥陀如来(恵心僧都作と伝承)」のご神徳に由来
観月山と号する浄土真宗本願寺派の寺院。元和8年(1622年)、戦国の猛将・佐々成政の四代孫にあたる釋玄誓が京都伏見に創建し、正保4年(1647年)に現在の六本木の地へ移転した。本尊の阿弥陀如来像は恵心僧都源信の作と伝わり、平安中期の浄土信仰の息吹を今に伝える。元禄11年(1698年)には江戸鋳物師・田中丹波守藤原重行により梵鐘が鋳造され、江戸期の鋳造技術を示す貴重な工芸品となっている。六本木一丁目駅から徒歩1分という都心の一等地にありながら、境内は喧騒を忘れる静寂に包まれ、六本木ヒルズやアークヒルズを望むビル街の谷間に佇む姿は、江戸と現代が交差する東京ならではの風景である。
開基の釋玄誓(寛文10年・1670年寂)は、佐々成政の四代孫にあたる。成政は織田信長に仕え越中を治めた猛将で、厳冬のさらさら越え(立山越え)の伝説でも知られる。秀吉との対立で肥後で切腹を命じられた後、子孫は武家を離れた。その血筋から仏門に入った玄誓が京都伏見に開いたのがこの寺である。寛永5年(1628年)に正式に寺号を許可され、正保4年(1647年)に江戸麻布六本木へ移転。以来380年近くにわたり、六本木の地で念仏の灯を守り続けている。
西光寺の開基・釋玄誓は佐々成政の四代孫にあたる。成政は織田信長に仕えて越中を治めた猛将で、厳冬のさらさら越え(立山越え)の伝説でも知られる。秀吉との対立で肥後にて切腹を命じられた後、子孫は武家を離れた。その血筋から仏門に入った玄誓がこの寺を開いたことで、戦国武将の末裔が築いた祈りの場として独特の歴史的重層性を持つ。
西光寺の本尊・阿弥陀如来像は恵心僧都源信の作と伝わる。源信は比叡山の学僧で、『往生要集』を著して地獄と極楽を鮮烈に描き、日本の浄土信仰の基盤を築いた人物。その源信作と伝承される阿弥陀像が六本木の地に安置されていることは、平安中期の浄土思想が千年の時を超えて都心に息づいていることを物語る。
西光寺は親鸞を宗祖とする浄土真宗本願寺派に属する。親鸞の「悪人正機」と「他力本願」の教えは、武家出身の開基・釋玄誓が刀を捨てて念仏の道に入る精神的支柱となった。寺名「西光」は西方浄土の光明を意味し、阿弥陀仏の本願力への絶対的帰依を表す。
慶応4年(1868年)3月、高輪大木戸のすぐ近くにあった薩摩藩邸で、勝海舟と西郷隆盛の歴史的な会談が行われた。江戸の南の玄関口であるこの場所で、江戸を戦火から救う交渉が行われたことは、まさに江戸の命運がこの門で決まったことを意味する。
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