1522年頃、尾張の武士の家に生まれた。織田信長の父・信秀の頃から仕え、当初は信長に反抗したが後に帰服し、信長の最も信頼される筆頭家老となった。「瓶割柴田」の異名は、越前撤退戦の際に水瓶を割って兵士たちに「もう退けない」と覚悟させた逸話に由来する。越前北庄(現・福井市)を拠点とし、主に北陸方面の軍事を担当した。上杉謙信・景勝との戦いでも活躍し、柴田軍団は織田家中で最大の軍事力を誇った。1582年の本能寺の変後、羽柴秀吉と天下を争い、1583年の賤ヶ岳の戦いで敗北した。北庄城に籠った勝家は火を放ち、正室・お市の方と共に自刃した。享年61歳。「男の見様こそ大事」という辞世の言葉と共に、武士道の鑑として後世に語り継がれた。