寛正6年(1465年)、尚円王(金丸)の子として生まれた。文明9年(1477年)、わずか12歳で即位し、以後およそ50年にわたって王位にあった。治世を通じて中央集権体制の確立に尽力し、各地の按司を首里に集住させて地方勢力を弱め、王府による一元的な統治体制を築いた。地方には按司に代わり首里から派遣される役人を配置し、行政機構を整備した。また仏教を厚く保護し、円覚寺をはじめとする寺院の建立を進めた。永正6年(1509年)には、首里城正殿前の欄干に自らの治世の功績を漢文・仮名文で刻んだ「百浦添之欄干之銘」を建立した。その治世は琉球王国の政治的安定と文化的繁栄が最高潮に達した時期とされ、「黄金時代」と呼ばれる。大永6年(1526年)に没した。