足利貞氏の次男として下野国に生まれ、鎌倉幕府の有力御家人として育った。後醍醐天皇の倒幕運動(元弘の変、1331年)に当初は幕府側として対応したが、1333年に六波羅探題を攻略して幕府打倒に転じ、建武の新政樹立に貢献した。しかし天皇中心の貴族的政治に不満を持つ武士たちの支持を集め、1335年の中先代の乱を機に後醍醐天皇と決裂。一時は九州に落ち延びたが、多々良浜の戦いで再起し京都を奪回した。1336年に建武式目を制定して武家政権の基本方針を示し、光明天皇を擁立して北朝を開いた。1338年に征夷大将軍に任じられ室町幕府を開いたが、弟・直義との対立(観応の擾乱)や南北朝の分裂など政局は複雑を極めた。1358年に54歳で没するまで南北朝動乱の中心人物として活動し続けた。その統治は完全には安定しなかったが、室町時代約240年の幕府体制の礎を築いた。