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菅原神社(本町田)
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菅原神社(本町田)
東京都
創建
1630
種別
神社
アクセス
JR町田駅から神奈中バス「菅原神社」下車すぐ、または町田駅から徒歩約25分
東京都町田市本町田802
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基本情報
神社
創建 1630
396年目
御祭神・御本尊
菅原道真公
ご利益
学問成就
芸能・技芸上達
受験合格・学業成就・論文執筆・書道上達。天神信仰(菅原道真公)ゆかりの天満宮に多い。
御祭神「菅原道真公」のご神徳に由来
概要
東京都町田市本町田に鎮座する菅原道真公を祀る神社で、東京都指定旧跡「井出の沢古戦場」の上に建つ歴史的神社。町田天満宮・南大谷天神社と並ぶ「町田三天神」の一つ。社伝によれば、室町期の永享年間(1429-1441年)に大沢左近正次が、先祖・大沢七郎正純が鎌倉期の元応年間に京都北野天神へ詣でた折に賜った天神像(大沢家の守り本尊)をこの井出の沢の山上に奉安したのが始まり。その子孫・大沢玄蕃は寛永7年(1630年)に新たに渡唐の天神像を刻ませて奉安、土地を寄進して本町田の鎮守と定めたことで正式に神社として成立した。境内は東京都旧跡「井出の沢古戦場」として指定されており、建武2年(1335年)の「中先代の乱」で、鎌倉奪還を目指す北条時行(最後の執権・高時の遺児)の軍勢と、それを迎え撃つ足利直義(尊氏の弟)の軍勢が激突した古戦場跡。直義は敗走して鎌倉を一時時行に奪われたが、間もなく尊氏が時行を駆逐した。…
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由緒
室町期の永享年間(1429-1441年)、当地の豪族・大沢左近正次が、先祖・大沢七郎正純が鎌倉期元応年間(1319-1321年)に京都北野天神参詣時に賜った天神像を井出の沢の山上に奉安したのが起源とされる。寛永7年(1630年)に子孫・大沢玄蕃が新たに天神像を刻ませて奉安、土地を寄進して本町田の鎮守として正式創建した。境内は建武2年(1335年)の「中先代の乱」で北条時行軍と足利直義軍が激戦を繰り広げた「井出の沢古戦場」として東京都指定旧跡となっている。この合戦で直義は敗走、時行は一時鎌倉を奪還したが、2週間ほどで足利尊氏により駆逐された。鎌倉街道の要所に位置し、南北朝動乱の序章となった古戦場…
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北条時行とのつながり
建武2年(1335年)7月、鎌倉幕府滅亡(元弘3年・1333年)で散った北条得宗家の遺児・北条時行は、信濃の諏訪頼重らに擁されて挙兵し、鎌倉奪還を目指して進軍した。鎌倉街道の要所であった井出の沢(現・菅原神社境内)で、迎撃に出た鎌倉将軍府の足利直義(後醍醐天皇の建武政権のもと、成良親王を奉じて鎌倉を守備)の軍と激突、直義を敗走させた。時行は勢いに乗って鎌倉を奪還するも、京都から駆けつけた足利尊氏の大軍に2週間ほどで敗れ、以後潜伏・挙兵を繰り返しながら南朝方として抵抗を続けた。この「中先代の乱」は後の観応の擾乱、南北朝動乱へとつながる前史として日本史上極めて重要な合戦であり、その舞台がこの町田本町田の丘であった。
足利尊氏とのつながり
建武2年(1335年)7月の井出の沢の戦いで弟・直義が北条時行に敗れ鎌倉が陥落すると、足利尊氏は後醍醐天皇の許可を待たず京都を発ち、東海道を駆け下って時行軍を撃破、8月に鎌倉を奪還した。この戦いの勝利を契機に尊氏は後醍醐天皇と決別し、翌建武3年(1336年)には光明天皇を擁立して室町幕府を開いた。井出の沢の敗戦は直義を鎌倉から一時退かせた遠因として、尊氏の後醍醐天皇離反と南北朝動乱の開幕を導いた決定的な一戦であった。

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