生年は不詳だが630年代ごろとされる。天智天皇の弟(異説あり)として大海人皇子と呼ばれた。671年に兄・天智天皇が崩御すると、皇位継承をめぐって天智天皇の子・大友皇子(弘文天皇)と対立した。672年に吉野の山中から起兵し、わずか一ヶ月余りの壬申の乱で大友皇子側を圧倒的に打ち破った。673年に飛鳥浄御原宮で即位し、天武天皇となった。その後は天皇権力の絶対的強化に取り組み、皇族・貴族の序列を定める八色の姓制度を制定、飛鳥浄御原令の編纂を命じ、律令国家の基盤づくりを進めた。また『古事記』・『日本書紀』の編纂を命じ、日本の国家的歴史書の成立を促した。伊勢神宮の式年遷宮制度もこの時代に原型が作られたとされる。686年に飛鳥で崩御。皇后の持統天皇が遺志を継ぎ、藤原京の造営・大宝律令の制定へと道を開いた。