天正13年(1585年)、戸沢盛安の子として生まれる。母の身分を理由に一時家督相続を危ぶまれたが、家臣団に擁立されて豊臣秀吉に謁見し当主と認められた。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは東軍に属し、出羽庄内の上杉方・東禅寺城を攻略する功を挙げた。この功により常陸国多賀郡・茨城郡内に4万石を与えられ、慶長7年(1602年)、大塚氏の龍子山城を大規模に改修して平山城とし、名を松岡城と改めて入城、常陸松岡藩を立藩した。以後20年間、大坂冬の陣・夏の陣にも参陣しつつ松岡を治めたが、元和8年(1622年)、最上氏改易に伴い出羽新庄6万石へ転封となり、新庄藩の初代藩主となった。慶安元年(1648年)、64歳で没した。