晩年の卜伝が琵琶湖の渡し船に乗っていた時、若い武芸者が「天下一の剣を使うという塚原卜伝とはお前か」と挑んできた。卜伝は「私の流儀は戦わずして勝つのだ」と答え、船頭に近くの小島に寄せるよう頼んだ。若者が勇んで島に飛び降りると、卜伝は船頭に命じてそのまま船を漕ぎ出し、若者を島に取り残して去った。これが「無手勝流」の逸話として広く知られている。
卜伝は17歳から廻国修行を始め、生涯を通じて真剣勝負(木刀ではなく真剣での一騎討ち)を19回行い、合戦には37回参加した。これだけの実戦を経験しながら、ただの一度も負傷しなかったと伝えられる。200回以上の試合で斬った敵は合計212人。この驚異的な戦績が「剣聖」の名を生んだ。
卜伝の名声は京にまで轟き、室町幕府第13代将軍・足利義輝に招かれて剣術を指南することとなった。卜伝は義輝に鹿島新當流の極意「一つの太刀」を伝授した。義輝はこの教えを体得し、「剣豪将軍」と呼ばれるほどの腕前に達した。1565年、松永久秀らに襲撃された際、義輝は名刀を畳に何本も突き立てて次々に持ち替えながら奮戦したと伝えられ、卜伝仕込みの剣技を最期まで発揮した。