大永5年(1525)、扇谷上杉家当主・上杉朝興の子として生まれる。天文6年(1537)4月、父の死去によりわずか13歳で家督を継承。南武蔵で勢力を強める後北条氏に対抗するため、深大寺城を再興・増築させた。しかし同年7月、北条氏綱は深大寺城を素通りして扇谷上杉氏の本城・河越城を直接攻撃。朝定は松山城へ敗走し、深大寺城は軍事的価値を失って廃城となった。以後も北条氏との抗争を続けたが、天文15年4月20日(1546年5月19日)、河越城をめぐる北条氏康の奇襲(河越夜戦)で扇谷上杉軍は大敗し、朝定も討死したと伝わる。享年22。この敗北により扇谷上杉家は事実上滅亡した。