上杉朝定
上杉朝定
深大寺城を再興した若き当主
1525-1546 · 享年 21歳
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生涯
大永5年(1525)、扇谷上杉家当主・上杉朝興の子として生まれる。天文6年(1537)4月、父の死去によりわずか13歳で家督を継承。南武蔵で勢力を強める後北条氏に対抗するため、深大寺城を再興・増築させた。しかし同年7月、北条氏綱は深大寺城を素通りして扇谷上杉氏の本城・河越城を直接攻撃。朝定は松山城へ敗走し、深大寺城は軍事的価値を失って廃城となった。以後も北条氏との抗争を続けたが、天文15年4月20日(1546年5月19日)、河越城をめぐる北条氏康の奇襲(河越夜戦)で扇谷上杉軍は大敗し、朝定も討死したと伝わる。享年22。この敗北により扇谷上杉家は事実上滅亡した。
人物像
13歳という若さで一族の存亡を背負うことになった当主。父の代からの宿敵・後北条氏に対し、限られた手勢と時間の中で城普請を進めるなど、若年ながら防衛体制の構築に努めた。
歴史的意義
深大寺城は朝定による再興後まもなく放棄されたため、後北条氏による改変を受けずに扇谷上杉氏系の築城技術がそのまま残る希少な城跡となった。2007年に国の史跡に指定されている。
さらに深く
家系図
1488-1537
上杉朝興
扇谷上杉家当主。江戸城・河越城を巡り北条氏と抗争した。
本人
上杉朝定
1525-1546
─ 完 ─
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