三浦一族の武将で、三浦義明の孫(杉本義宗の子)。治承4年(1180年)の源頼朝の挙兵に当初から従い、数々の合戦で武勇を示した。鎌倉幕府が成立すると初代の侍所別当に任じられ、御家人を統率して軍事・警察を司る要職を担った。弓の名手として知られ、頼朝の信任厚い宿老の一人であった。頼朝没後は十三人の合議制の一員として幕政に加わったが、北条氏の台頭とともに対立を深め、建暦3年(1213年)、北条義時を討たんと挙兵した(和田合戦)。鎌倉市中での激戦の末に敗れ、義盛とその一族は滅亡した。享年67。鎌倉の和田塚はその最期を今に伝える。