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PERSON
和田義盛
和田義盛
侍所別当を務めた弓の名手
1147-1213 · 享年 66歳
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生涯
三浦一族の武将で、三浦義明の孫(杉本義宗の子)。治承4年(1180年)の源頼朝の挙兵に当初から従い、数々の合戦で武勇を示した。鎌倉幕府が成立すると初代の侍所別当に任じられ、御家人を統率して軍事・警察を司る要職を担った。弓の名手として知られ、頼朝の信任厚い宿老の一人であった。頼朝没後は十三人の合議制の一員として幕政に加わったが、北条氏の台頭とともに対立を深め、建暦3年(1213年)、北条義時を討たんと挙兵した(和田合戦)。鎌倉市中での激戦の末に敗れ、義盛とその一族は滅亡した。享年67。鎌倉の和田塚はその最期を今に伝える。
人物像
剛勇で知られる弓の名手であり、頼朝以来の宿老として武士の信望を集めた。情に厚く一族を束ねる一方、政治的な駆け引きでは北条氏の周到さに及ばず、最後は一族の意地をかけて挙兵し散った。
歴史的意義
鎌倉幕府初代の侍所別当として武家政権の軍事の基礎を支えた。和田合戦による一族の滅亡は、北条氏が幕府の実権を固めていく過程の象徴的な事件として記憶される。鎌倉の和田塚は今も和田一族の最期を伝えている。
逸話・エピソード
侍所別当・弓の名手
和田義盛は源頼朝の挙兵以来の功臣として、鎌倉幕府初代の侍所別当に任じられた。侍所は御家人を統率し軍事・警察を司る幕府の中核機関であり、その別当は武士の頂点に立つ要職であった。義盛は弓の名手としても名高く、武勇をもって頼朝の信任を得た宿老であった。
和田合戦——一族の滅亡
頼朝の死後、幕府の実権をめぐって北条義時との対立が深まった。建暦3年(1213年)、義盛は一族を率いて挙兵し、鎌倉市中で激戦を繰り広げた(和田合戦)。一時は将軍御所に迫る勢いを見せたが、北条方の反撃と一部一族の寝返りにより敗北し、義盛と和田一族は滅亡した。これにより侍所別当の職も北条氏の手に渡り、得宗専制への道が開かれた。鎌倉の和田塚はこの戦いの戦死者を葬ったと伝わる。
和田義盛 年表
1147
和田義盛、三浦半島に生まれる
1180
源頼朝の挙兵に加わる
1184
侍所の初代別当に任命される
1199
頼朝死去。十三人の合議制に参加
1213
和田合戦。北条義時と戦い敗死(67歳)
ゆかりの地 — 2
─ 完 ─
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