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「波の下にも都がございます」——安徳天皇と壇ノ浦の最期
1185年の壇ノ浦の戦いで平家が敗れたとき、安徳天皇(わずか8歳)の祖母・二位尼は幼い天皇を抱き上げて「波の下にも都がございます」と語りかけ、共に海に飛び込んだ。『平家物語』最大の悲劇として語り継がれるこの場面を分かりやすく解説する。
深く読み解く一冊
目次
MOKUJI
壇ノ浦の戦い
二位尼の言葉
「平家物語」の最大の悲劇
ゆかりの地を訪ねよう
よくある質問
古代天皇の肖像(参考)——安徳天皇はわずか8歳で壇ノ浦に散った。日本史上最も若い天皇の一人
Wikimedia Commons / Public Domain
「波の下にも都がございます」。
これほど悲しい言葉があるでしょうか。1185年、壇ノ浦の戦いで敗れた平家の最期の場面に語られた言葉です。
壇ノ浦の戦い
1185年3月、関門海峡(現・山口県下関市と福岡県北九州市の間)で源氏と平家の最後の決戦が行われました。これが「壇ノ浦の戦い」です。
当初は潮の流れを味方にした平家が優勢でしたが、潮が変わったことと、味方の武将・阿波民部大夫(あわのみんぶたいふ)らが源氏方に寝返ったことで形勢が逆転。平家の船は次々と撃沈され、将兵は海に飛び込みました。
源平合戦の絵巻(参考)——壇ノ浦の戦いは源平の最終決戦として「平家物語」に詳しく記録されている
Wikimedia Commons / Public Domain
二位尼の言葉
平家が敗北を悟ったとき、安徳天皇の祖母・**二位尼(にいのあま、平時子)**は行動しました。
二位尼は幼い安徳天皇(当時数え年8歳・満6歳)を抱き上げ、こう語りかけました。
「波の下にも都がございます。お連れします」
安徳天皇が理解できたかどうかは分かりません。しかし二位尼は幼帝を抱いたまま海に飛び込みました。
また、三種の神器の一つ「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」も海の底に沈んだとされています(宝珠・鏡は回収されましたが、剣は現在も行方不明)。
「平家物語」の最大の悲劇
建長寺(鎌倉)——平家滅亡後に武家文化が開花した鎌倉の中心的な禅寺。安徳天皇の死が新しい時代の幕を開けた
Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
「波の下にも都がございます」という言葉は、「どこへ行っても平家の都がある」「海の底でも私たちの世界がある」という意味です。
二位尼は幼い孫に恐怖を与えず、死を穏やかに受け入れさせようとしたのかもしれません。そのやさしさと悲しさが混じった言葉が、「平家物語」最大の名場面として後世に伝わりました。
安徳天皇は8歳で崩御しました。歴史上、最も幼くして亡くなった天皇の一人です。
ゆかりの地を訪ねよう
壇ノ浦の戦いの舞台壇ノ浦古戦場跡(山口県下関市)には、今も源平の戦いを記念する史跡が残っています。関門海峡を望む場所に立つと、あの戦いの情景が目に浮かびます。
安徳天皇のゆかりの地一覧でほかのスポットも確認してください。
よくある質問
安徳天皇は本当に8歳だったの?
数え年で8歳(満年齢では6歳)でした。1178年生まれ、1185年崩御。史上最年少クラスの崩御です。
草薙剣は今どこにあるの?
壇ノ浦で海に沈んだとされ、現在も行方不明です。熱田神宮(名古屋市)には「草薙剣のレプリカ(形代)」が御神体として祀られています。
最終更新日:2026年6月3日
── 了 ──
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ゆかりの地を訪ねる
記事で読んだ歴史は、現地に立つとさらに深く実感できます。下のスポットや巡礼コースから、次の参拝先を選んでみませんか。
1. 壇ノ浦古戦場跡
寿永4年(1185年)3月24日…
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