阿賀城跡(あがじょうあと)は、広島県安芸高田市八千代町下根の山上に築かれた中世の山城跡で、「赤城(あかぎ)」の別名でも呼ばれる。はじめ在地領主の阿賀氏が拠ったと伝わり、のちに戦国大名・毛利氏の譜代家臣であった井上氏の居城になったとされる。城は5つの郭がT字形に配置された縄張りをもち、各郭には地山を削り残して築いたとみられる土塁がよく残り、主郭には井戸の跡もとどめている。安芸高田の地は毛利元就の本拠・吉田郡山城を擁する毛利氏の勢力圏であり、阿賀城もその家臣団の城のひとつとして連なっていた。山頂の郭群からは眺望がよく、晴れた朝には雲海を望むこともできる。現在は山頂へのハイキングコースが整備され、中世山城の遺構を間近にたどることができる。昭和46年(1971年)4月20日、安芸高田市の史跡に指定された。
阿賀城は、中世にこの地を治めた在地領主・阿賀氏によって築かれたと伝わる山城で、「赤城」とも称された。安芸国高宮郡八千代の地は、戦国期には安芸の一国人領主から中国地方の覇者へと飛躍する毛利氏の勢力圏にあり、阿賀城ものちに毛利氏の譜代家臣であった井上氏の居城になったといわれる。井上一族は毛利元就の重臣として安芸に大きな勢力を張ったが、天文19年(1550年)、専横を強めた井上元兼ら一族は元就によって粛清され、これを契機に元就は家臣団の統制を固めて毛利家による安芸支配を確立していった。城は標高およそ485メートルの山上に営まれ、5つの郭がT字形に配置される構造をもつ。各郭には地山を削り残して築いたと…