兵庫県尼崎市北城内に建つ近世城郭の復元天守。元和3年(1617年)、大坂夏の陣で豊臣氏が滅亡した翌々年、徳川幕府は大坂城周辺の防衛網を固めるため各地に城を整備した。その西の要衝として摂津尼崎5万石を与えられた**戸田氏鉄(左門)**が築城を開始し、海と川に囲まれた低地に水城(みずしろ)として建設した。四重四階の天守を中心に三重の堀と多数の隅櫓を備えた堅固な城で、「西国将来の居城」として徳川支配の摂津における威圧的象徴となった。
歴代城主は戸田氏(1代)→**青山氏**(4代)→**桜井松平氏**(7代)と合計12名が続き、幕末まで尼崎藩の政治的中心として機能した。青山氏3代・**青山幸利**は42年の長期在任で名藩主と称えられ、神戸市兵庫区の和田神社(和田宮)を大造営した人物でもある。
明治6年(1873年)の廃城令により建物はすべて取り壊され、城跡は市街地へと変貌した。145年後の平…
尼崎には中世より大物城(おおもの)という城郭が存在したとされ、荒木村重の乱(1578年)では織田軍に追われた村重がこの地に逃げ込んだとの記録もある。しかし現在の尼崎城の直接の起源は元和3年(1617年)に始まる。慶長20年(1615年)の大坂夏の陣で徳川秀忠が豊臣氏を滅ぼした後、徳川幕府は大坂城の周囲を親藩・譜代の城で固める政策を推進した。淀城・高槻城の整備、明石城の新築とともに、その西の要衝として尼崎に新城の建設が命じられた。
初代城主に任命された**戸田氏鉄**(1576〜1655年)は、大坂城普請総奉行として幕府の信頼が厚い譜代大名。元和3年(1617年)7月に摂津尼崎5万石で入封し、…