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神護景雲4年(770年)に和気清麻呂が宇佐神宮から勧請した1250余年の古社——大内弘世が永和2年に本殿を建立し玉椿の御神木が今も境内に立つ
JR小野田駅からバス約8分「田尻」バス停下車徒歩約10分 / 車:小野田ICから約10分
山口県山陽小野田市大字有帆1377-2
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山口県山陽小野田市有帆に鎮座し、応神天皇・仲哀天皇・神功皇后ほか宗像三女神を合わせた六柱を祀る八幡宮。神護景雲4年(770年)、奈良時代の廷臣・和気清麻呂が九州から帰京の途次に別府湾に立ち寄り、暴風を鎮めてくれた宇佐神宮の八幡神を感謝の意を込めてこの地に勧請したのが創始と伝わる。中世には大内氏・毛利氏の庇護を受け、永和2年(1376年)に大内弘世が本殿を建立。天保8年(1837年)には毛利氏が旧拝殿を再建し、明治13年(1879年)に現本殿が造営された。旧本殿(1376年)・旧拝殿(1837年)は境内に現存する歴史的建造物。境内には山口県最古級とされる玉椿(ツバキ)が御神木として立ち、かつてこの地が「椿河内」と呼ばれていた名残をとどめる。交通安全・安産・商売繁盛など六柱の多様なご利益で親しまれ、約200台分の駐車場を持つ山陽小野田市最大の神社。
神護景雲4年(770年)、奈良時代の廷臣・和気清麻呂(733〜799年)が九州から帰京の途次、嵐に遭い有帆の入江に入った。清麻呂は宇佐神宮の八幡神に祈願し嵐が鎮まったことに感謝し、その地に八幡神を勧請したのが創始と伝わる。和気清麻呂は道鏡の皇位簒奪を阻止した宇佐八幡宮神託事件(769年)で知られる廷臣であり、この別府八幡宮創建の翌年(771年)にその帰京を果たした。
平安・鎌倉時代を経て、室町時代に入ると大内氏の崇敬を受けた。永和2年(1376年)、大内弘世が本殿を建立。この旧本殿は現在の本殿西側に現存し、14世紀の建築として境内最古の構造物である。大内氏滅亡後は毛利氏の支配下となり、天保8年…
勝負運・スポーツ必勝・試験突破の勝運。八幡宮や諏訪大社など武門の守護神に由来。
御祭神「応神天皇・仲哀天皇・神功皇后・多紀理毘売命・市杵島姫命・多岐都比売命」のご神徳に由来
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