JR羽越本線鶴岡駅から車で約30分。庄内交通バス「大網」バス停下車徒歩15分
山形県鶴岡市大網字入道11
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湯殿山総本寺の一つで、即身仏「真如海上人」を祀る真言宗豊山派の古刹。寺伝では大同2年(807年)に弘法大師空海が湯殿山を開いた際に創建したとされ、湯殿山参詣の表口別当として湯殿山四ヵ寺の一翼を担ってきた。寛永17年(1640年)には三代将軍徳川家光の乳母・春日局が三間四方の堂を寄進し、徳川将軍家の祈願寺として高い格式を保った。1786年(天明6年)に96歳で入定した真如海上人の即身仏は、湯殿山系即身仏の代表として今も多くの参拝者を集めている。本尊の銅造如来立像(飛鳥時代)は国の重要文化財に、樹齢1800年と伝わる「皇壇の杉」は山形県の天然記念物に指定されている。
大同2年(807年)、弘法大師空海が湯殿山を開いた際に創建したと寺伝に伝わる。当初は教王瑜伽寺と称し、のちに瀧水寺金剛院と改称、さらに大網大日坊と呼ばれるようになった。中世以降、湯殿山信仰の隆盛とともに発展し、出羽三山のうち最も奥深い湯殿山への参詣路を管掌する別当寺の一つとして、注連寺・本道寺・大日寺とともに「湯殿山四ヵ寺」を構成した。江戸時代に入ると、徳川家との結びつきが深まり、寛永17年(1640年)には三代将軍家光の乳母・春日局が病気平癒と家光の武運長久を祈願して三間四方の御堂を寄進、徳川将軍家の祈願寺として東北地方有数の格式を誇った。江戸期には「木食行」と呼ばれる五穀・十穀を断つ厳しい…
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三代将軍徳川家光は乳母・春日局を通じて大日坊と深い関わりを持った。寛永17年(1640年)に春日局が寄進した三間四方の堂には家光の武運長久を祈願する本尊が安置され、以降大日坊は徳川将軍家の祈願寺として庇護を受けた。徳川家の威光のもと、東北地方における湯殿山信仰の中核として隆盛した。
寛永17年(1640年)、徳川家光の乳母として権勢を振るった春日局は、大日坊に三間四方の御堂を寄進し、家光の病気平癒と武運長久を祈願した。江戸城大奥の最高権力者であった春日局による寄進は、当寺が遠く江戸幕府中枢からも崇敬を集めていた証として今に伝わる。
寺伝によれば、大同2年(807年)に弘法大師空海が湯殿山を開いた折、その入口にあたる地に大日坊を草創したとされる。空海と湯殿山の関係を伝える伝承の中心的舞台であり、湯殿山真言宗の立教の地として信仰の対象となってきた。
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