天正18年(1590年)、豊臣秀吉の奥州仕置により稗貫郡が南部氏の支配下に入ると、翌天正19年(1591年)ごろ、北上川沿いの丘陵地・鳥谷ヶ崎に平山城として整備されたとされる。慶長5年(1600年)、南部信直の重臣・北信愛が入城し、城下町の原型を整えた。江戸時代を通じて花巻城は南部藩(盛岡藩)の支城として機能し、城内には花巻代官所が置かれ、藩政の出先機関として周辺地域の行政を担った。幕末期まで南部藩の重要拠点であり続けたが、明治維新後の廃城令(1873年)により城は解体され、建造物のほとんどが失われた。その後、石垣や堀の一部が残存するのみとなったが、後世に二の丸搦手門にあたる圓城寺門が復元され…