有馬氏が16世紀後半に築いた城で、1599年頃に完成したとされる。元来は有馬晴信の居城・日野江城の支城として機能していたが、有馬氏が1614年に改易されて廃城となった。1637年(寛永14年)、島原半島と天草の農民・キリシタン信徒約3万7千人が、苛政と宗教弾圧に反発して蜂起した「島原の乱」が勃発。天草四郎時貞を大将とする一揆勢は廃城の原城に立て籠もり、老中・松平信綱率いる幕府軍12万余と対峙した。約3ヶ月の籠城戦ののち、1638年(寛永15年)2月に幕府軍が総攻撃を敢行、籠城衆はほぼ全滅した。推定死者数は約3万7千人に及ぶ。この乱を契機に幕府はポルトガルとの通商を断絶し、鎖国体制の完成につなが…