延暦12年(793年)、若き日の空海(当時19歳)がこの龍山の山中において100日間にわたる虚空蔵求聞持法を修行し、霊力を開眼したと伝わる。その後、弘仁6年(815年)に弘法大師・空海が嵯峨天皇の勅願により正式に開創し、四国八十八箇所第21番札所として定められたとされる。中世には戦乱の影響を受けながらも、高野山真言宗の寺院として法灯が守られてきた。近世には阿波藩主・蜂須賀氏の庇護を受けて堂宇が整備・再興され、現在に至る伽藍の基礎が築かれた。明治期の神仏分離・廃仏毀釈の波も越えて法脈は継承され、現在も「西の高野山」として広く知られる。境内に安置される大師像は国の重要文化財に指定されており、昭和後…