大宝2年(702年)、役行者あるいは行基の開創と伝わる天台宗の古刹で、正式名は光明寺という。奈良時代からの法燈を守り、平安・鎌倉期を通じて金目川沿いの観音霊場として栄えた。坂東三十三箇所観音霊場が整備されると第七番札所に数えられ、広く巡礼者を集めるようになった。鎌倉幕府創設後、源頼朝の妻・北条政子が安産祈願のためにこの地を訪れたとの伝承が残り、将軍家との縁で霊場としての名声をさらに高めた。現存する本堂は室町時代の建築とされ、国の重要文化財に指定されている。江戸時代には巡礼文化の隆盛とともに諸国から参拝者が訪れ、相模屈指の観音霊場としての地位を確立した。明治の神仏分離後も天台宗寺院として法脈を維…