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伊賀鉄道上野市駅から徒歩約8分
三重県伊賀市上野丸之内
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この地で詠まれた句
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故郷や臍の緒に泣く年の暮
貞享四年暮、『笈の小文』の旅の途次、故郷・伊賀上野に帰省して。
実家に保管されていた自分の臍の緒を見た芭蕉が、亡き両親を思って涙を流したという句。「故郷」「年の暮」の重さが旅の漂泊者の胸を突く。
天正13年(1585年)に豊臣秀吉の命で筒井定次が築き、後に築城の名人・藤堂高虎が大改修した伊賀の名城。高虎が築いた高さ30メートル超の高石垣は「日本一」を誇る圧巻の景観で、国の史跡に指定されている。現在の三層天守閣は昭和10年(1935年)に川崎克が私財を投じて木造復元したもの。松尾芭蕉の故郷・伊賀上野に位置し、芭蕉記念館や俳聖殿などの芭蕉ゆかりの施設も近隣に点在し、俳句文化と城の歴史が融合した観光地として知られる。
天正13年(1585年)、豊臣秀吉の命を受けた筒井定次が伊賀上野に城を築いたことが当城の起源とされる。慶長13年(1608年)、藤堂高虎が伊賀・伊勢両国の領主となり城の大改修に着手。大坂の豊臣氏に備える西国への備えとして重要視され、高虎は得意とする高石垣を築いた。その高さは30メートルを超え、日本最高峰級の高石垣として現在も知られる。しかし慶長17年(1612年)、完成直前に暴風雨により天守閣が倒壊し、その後再建されることはなかった。江戸時代を通じて藤堂氏が城を管理したが、明治維新後の廃城令により建物の多くが失われた。明治・大正期を経て、地元出身の政治家・川崎克が城の復元に尽力し、昭和10年(…
藤堂高虎は慶長13年(1608年)に伊賀・伊勢を領して伊賀上野城の大改修に着手した。高さ30メートルを超える「日本一の高石垣」を築いて堅固な要塞とし、高虎の築城技術の粋を示した。慶長17年(1612年)に嵐で天守が倒壊し再建されなかったが、この高石垣は高虎が「築城の名人」と呼ばれる所以を体現する傑作として今も聳え立つ。
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