神功皇后元年(201年)、三韓征伐の帰途に神功皇后が神戸港に差し掛かると船が進まなくなり、神占を行ったところ稚日女尊(わかひるめのみこと)が「活田長峡国に居りたい」と宣うたことから、海上五十狭茅を神主として布引山に祀ったのが始まりとされる。廣田神社・長田神社とともに神功皇后創建の三社の一つに数えられる。延喜式神名帳では摂津国の名神大社に列し、明治29年には官幣中社に昇格した。延暦18年(799年)の洪水に際しては神輿が現在地に遷座している。大同元年(806年)に朝廷より神戸(かんべ)44戸が授けられたことが「神戸(こうべ)」という地名の由来と伝わり、神社と都市の名が深く結びつく。寿永3年(11…