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名鉄犬山遊園駅徒歩15分
愛知県犬山市犬山北古券65-2
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犬山市に位置する国宝天守を有する城郭。天文6年(1537年)に織田信康によって木曽川沿いの山上に築かれた。現存十二天守のひとつで、国宝に指定された五城のうちのひとつ。木曽川を眼下に望む天守からの眺望は「白帝城」の名にふさわしく絶景。最上階は望楼式で外廊下から360度の展望が楽しめる。2004年まで成瀬家が個人所有した唯一の城で、現在は財団が管理。歴史ある城下町も残り、年間80万人以上が訪れる人気観光地。
犬山城は天文6年(1537年)、織田信長の叔父にあたる織田信康によって木曽川南岸の丘上に築かれたとされる。ただし、その前身として享禄元年(1528年)に織田信康の父・織田与次郎が砦を築いたとも伝わる。戦国時代には尾張支配をめぐる争乱の中で要衝として機能し、織田・豊臣政権下においても軍事的拠点であり続けた。関ヶ原の戦い(1600年)では東軍・西軍双方に利用され、戦後に徳川家康の家臣・平岩親吉が城主となった。元和3年(1617年)以降は尾張藩附家老・成瀬正成が城主となり、以降明治維新まで成瀬家が代々城主を務めた。明治4年(1871年)の廃藩置県後も天守は取り壊しを免れ、昭和10年(1935年)に国…
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犬山城は信長の叔父・織田信康が築いた城で、信長の勢力圏内の北部を守る重要な拠点だった。信長は尾張統一の過程でこの城を掌握し、美濃侵攻の足掛かりとした。木曽川を眼下に見下ろすこの城の地政学的価値を信長は十分に認識していた。
天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いで、秀吉は犬山城を本営とした。ここに25,000の大軍を率いて在陣し、小牧山に陣を構えた家康と対峙した。秀吉にとって犬山城は、家康との最大の直接対決の際の総司令部であった。
関ヶ原の戦い(1600年)後、家康は信頼する家臣・平岩親吉を犬山城主に任じた。関ヶ原では東西両軍に利用されたこの尾張の要衝を徳川の直轄下に置くことで、家康は尾張支配を固め、江戸幕府の統治基盤を確立する礎を築いた。
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