延文3年(1358年)、南朝の武将・新田義興は矢口渡において北朝方の謀計によって謀殺された。舟に仕掛けられた罠によって多摩川に沈んだ義興の最期は悲劇的で、ともに殉死した十騎の家臣の忠義は後世に深く伝えられた。「十寄」の社名はこの十騎の臣が寄り合って殉死したことに由来する。義興の怨霊は激しく、矢口渡周辺では怪異が相次いだとされ、その霊を鎮めるために創建されたのがこの神社である。近世には歌舞伎「神霊矢口渡」などで義興の悲話が広く知られるようになり、神社への信仰も高まった。境内は東京都指定旧跡「矢口の渡跡」に隣接し、中世の歴史が色濃く残る。現在も怨霊鎮魂・縁結び・武運のご利益を求めて参拝者が訪れる。