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上狭川城跡
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上狭川城跡
奈良県
五箇条の御誓文を起草した家系を育んだ大和の山城
創建
1500
種別
アクセス
奈良交通バス「上狭川」停留所から徒歩数分で登城口(公民館付近)。奈良市街から車で約30分。登城路は整備されており、主郭まで15〜20分程度。
奈良県奈良市狭川東町字シロ山
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基本情報
創建 1500
526年目
概要
奈良市狭川東町の山上に築かれた室町時代の山城。別名「福智城(ふくちじょう)」とも呼ばれ、比高約60メートル・標高195メートルの峰に主郭を置く。狭川福岡氏の居城として機能し、松永久秀・筒井順慶と渡り合った戦国の激動を生き抜いた。現在も主郭土塁・堀切7か所・竪堀・外枡形虎口(全国的にも希少な遺構)が良好な状態で残り、城郭愛好家から高い評価を受ける。城内の行者堂には役行者像が安置されており、山岳信仰の痕跡も色濃い。
由緒
室町時代後期、大和国添上郡狭川郷を領した狭川福岡氏が築いたと伝わる。戦国期には松永久秀の支配下に置かれ、のちに筒井氏へと帰属した。天正10年(1582年)の本能寺の変では、城主・福岡干基(もとき)が織田信忠に従い討死したと伝えられる。その子・福岡干孝(もとたか)は関ヶ原後に土佐藩主・山内一豊に召し抱えられ3,000石を拝領、土佐福岡家の祖となった。この家系から幕末・明治期に福岡孝弟(たかちか)が出て、五箇条の御誓文の起草者の一人となり、明治新政府の参議・司法卿を歴任した。廃城の時期は詳らかでないが、関ヶ原(1600年)前後に機能を失ったと考えられる。
ご利益
学問成就
厄除け・災難除け
受験合格・学業成就・論文執筆・書道上達。天神信仰(菅原道真公)ゆかりの天満宮に多い。

ゆかりの人物
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