JR中央本線甲斐大和駅から車約15分
山梨県甲州市大和町田野389
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甲州市大和町田野に位置する曹洞宗の寺院で、武田勝頼・夫人・嫡男信勝ら武田一族が自刃した地に建てられた菩提寺。天正10年(1582年)3月、織田信長の甲斐侵攻により追い詰められた武田勝頼一行はこの田野の地(天目山栖雲寺付近)で自刃し、武田氏は滅亡した。徳川家康が武田氏ゆかりの人々の菩提を弔うために寺を建立し、勝頼・夫人・信勝の墓が境内に残る。国の史跡に指定されており、武田氏滅亡の悲劇を今に伝える歴史的に重要な場所である。
天正10年(1582年)3月、織田信長の甲斐侵攻によって追い詰められた武田勝頼は、重臣たちの離反が相次ぐ中、甲斐国田野の地(天目山栖雲寺付近)にて夫人・嫡男信勝らとともに自刃し、戦国大名としての武田氏は滅亡した。同年、豊臣秀吉による天下統一を経て、江戸時代初期に徳川家康が武田氏ゆかりの人々の菩提を弔う目的でこの自刃の地に寺を建立し、「景徳院」と命名したと伝わる。境内には勝頼・夫人・信勝の三基の墓が設けられ、曹洞宗の寺院として歴史的な法要が続けられてきた。明治以降も寺は維持され、近代においては国の史跡として指定を受け、武田氏滅亡の歴史を伝える重要な文化財として保護されている。現在も境内に残る墓碑…
天正10年(1582年)3月、信玄の嫡孫・武田勝頼はこの田野の地で、夫人・北条夫人(北条氏政の妹)と嫡男・信勝とともに自刃した。信玄が築き上げた武田氏の覇業はここで幕を閉じた。景徳院は信玄の孫の死を弔う寺であり、武田信玄という英傑の遺産の最後の章を刻む場所として、今も多くの人が訪れる。
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