一條神社は応仁の乱(1467〜1477年)を避けて土佐国幡多郡中村(現四万十市)に下向した摂関家・一条教房(1423〜1480年)を始め、一条氏歴代の当主を祀る。一条家は中村に京都を模した碁盤の目状の町を造り、「土佐の小京都」と呼ばれる文化の中心地を作り上げた。しかし戦国時代に台頭した長宗我部元親により、天正3年(1575年)に最後の当主・一條兼定が追放されて一条家は事実上滅亡。現在の一條神社は明治時代(1862年)の創建で、一条家ゆかりの地を参拝・顕彰する場として中村の街歩きの中心となっている。