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山形城跡(霞城公園)
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山形城跡(霞城公園)
山形県
創建
1357
種別
アクセス
JR山形駅から徒歩約10分
山形県山形市霞城町1-7
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基本情報
創建 1357
669年目

この地で詠まれた句
1

五月雨を集めて早し最上川
松尾芭蕉 1689年
季語
五月雨(夏)
奥の細道、最上川下り。
五月雨を集めて激流となる最上川の迫力を詠んだ奥の細道中の名句。芭蕉の自然描写の頂点の一つ。
概要
山形城は最上義光(もがみよしあき)の居城として知られる東北屈指の名城。最上義光は伊達政宗の母・義姫の兄で、政宗とは甥と叔父の関係にあたりながら、複雑な権力関係から激しく対立した時期もあった。関ヶ原の戦いでは東軍(徳川方)として上杉軍と戦い(慶長出羽合戦)、最上氏は57万石の大大名となった。山形城(霞城)は二の丸・三の丸の石垣が広く残り、東大手門は復元整備されている。城跡は霞城公園として整備され、桜の名所としても知られる。最上義光歴史館では義光ゆかりの武具・資料を展示。山形鉄道(フラワー長井線)の発祥地である長井市とともに最上氏の遺産が山形に多く残る。
由緒
山形城は1357年(正平12年)、斯波兼頼が出羽国に入部し居館を構えたことに始まるとされる。斯波氏はやがて最上氏を名乗り、以後約250年にわたり山形を支配した。戦国時代、最上義光(1546〜1614)は家中の反乱や近隣勢力との抗争を制して最上氏の権勢を確立し、山形城を大規模に拡張・整備した。1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いに際しては、義光は徳川方の東軍に属して上杉景勝の軍と戦い(慶長出羽合戦)、これを撃退。その功により最上氏は最大57万石を領する大大名となった。しかし1622年(元和8年)に最上氏はお家騒動により改易となり、その後は鳥居氏・保科氏・松平氏など複数の藩主が交代した。明治維新後…
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関連する歴史的事件
1

1600
慶長出羽合戦
1600年(慶長5年)、関ヶ原の戦いと同時期に出羽国(現在の山形県)で展開された「北の関ヶ原」とも呼ばれる合戦。東軍の最上義光と西軍の上杉景勝(直江兼続指揮)の間で展開した一連の戦いで、上杉軍は最上領に侵攻し長谷堂城(山形県山形市)を包囲した。最上軍は伊達政宗の援軍を得て善戦し、関ヶ原での西軍敗報を受けた上杉軍は撤退を余儀なくされた。この撤退戦で直江兼続は見事な殿軍(しんがり)を指揮したことで知られ、「直江の退き口」として語り継がれている。
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伊達政宗とのつながり
最上義光は政宗の母・義姫の兄。政宗とは婚姻政策など複雑な関係を持ち、伊達氏と最上氏は時に協力し時に対立した。慶長出羽合戦では最上・伊達連合軍が上杉氏と激しく戦った。

ゆかりの人物
1

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