JR東郷駅からバス12分
福岡県宗像市田島2331
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良縁成就・恋愛成就・夫婦円満。出雲大社・地主神社・川越氷川神社などが有名。
御祭神「田心姫神・湍津姫神・市杵島姫命」のご神徳に由来
お祭り・行事
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沖ノ島の神宝を祀る世界遺産・宗像大社の大祭。みあれ祭では海上神幸が行われる。
全国約6200社の宗像・厳島神社の総本社で、2017年に「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群としてユネスコ世界文化遺産に登録された。田心姫神・湍津姫神・市杵島姫命の宗像三女神を祀り、古代から玄界灘の航海安全の神として崇敬を集める。沖津宮(沖ノ島)・中津宮(大島)・辺津宮(宗像)の三宮から成り、古代大陸との交流の聖地として世界に認められた。4〜9世紀の大陸・朝鮮半島との交流で奉納された多数の国宝が神宝館に収蔵され、「海の正倉院」とも称される宗像信仰の総本社。
宗像大社の創建年代は明らかでないが、『日本書紀』や『古事記』には天照大神と素戔嗚尊の誓約によって宗像三女神が生まれたと記され、古代より玄界灘を望む地に鎮座してきたと伝わる。4世紀から9世紀にかけて、ヤマト王権や律令国家が対外交渉を行う際、沖ノ島は航海の安全を祈る「国家祭祀」の場となり、大陸・朝鮮半島との交流の証となる奉献品が多数残された。沖ノ島の祭祀遺跡からは金製指輪・三角縁神獣鏡・唐三彩・ペルシア製ガラス器・新羅製金製品など8万点もの奉献品が出土し、いずれも国宝に指定されている。律令制のもとでは「宗像神」として国家から厚く崇敬され、延喜式においても名神大社に列せられた。中世には宗像氏が大宮司…
『古事記』『日本書紀』によれば、天照大神と素戔嗚尊が天安河で誓約(うけい)を行った際、天照大神が素戔嗚の十拳剣を噛み砕いて吹き出した息霧から、田心姫・湍津姫・市杵島姫の宗像三女神が生まれた。天照大神はこの三女神に「汝三神は、宜しく道中に降居して、天孫を助け奉り、天孫の為に祭らえよ」との神勅を下し、宗像の地に降臨させたと伝わる。これが宗像大社の縁起神話であり、皇室祭祀の根幹に位置づけられる。
黒田長政(1568-1623)は関ヶ原の戦功により慶長5年(1600年)筑前国福岡藩52万石の藩主となり、宗像大社の崇敬を継承した。黒田氏は宗像氏断絶後の宗像信仰の保護者として社殿の造営・修復を支援し、現存する辺津宮本殿(重要文化財)は天正6年(1578年)に大宮司宗像氏貞が再建したものを黒田氏が維持した。福岡藩政期を通じて宗像信仰の近世的継承を支えた。
天安河での誓約において素戔嗚尊が差し出した十拳剣から宗像三女神が生まれたとされ、素戔嗚は宗像三女神の父神(または親神)として位置づけられる。海洋・航海・暴風雨を司る素戔嗚の神格は、玄界灘の航海守護神としての宗像三女神の性格と密接に結びつき、古代の海神信仰の核を形成した。
宗像氏貞(1545-1586)は宗像大宮司家・第79代の最後の大宮司。戦国時代に宗像郡を治めた国人領主でもあり、大友氏・毛利氏の狭間で領地と神社を守った。氏貞の死後、宗像氏は嗣子なく断絶し、大宮司職は世襲制を終えた。中世宗像信仰の最後の守護者として位置づけられる。
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