[ まだ写真がありません ]
最初の一枚を投稿しませんか
JR「沼津」駅から東海バス「長浜」下車
静岡県沼津市西浦江梨329-1
Google Map で開く ↗
沼津市西浦に残る戦国時代の水城跡。駿河湾に面した海岸沿いに築かれた水軍の拠点であり、武田氏と北条氏・今川氏が争った戦国時代の重要な海上拠点であった。1580年代に武田水軍と北条水軍が駿河湾上で激しく戦った場所としても記録に残る。現在は城跡に歴史博物館「長浜城歴史博物館」が建てられており、駿河湾や富士山を望む絶景スポットとしても人気がある。水軍の歴史と駿河湾の美しい風景を同時に楽しめる観光地となっている。
長浜城は1560年(永禄3年)頃、今川氏の支配下において駿河湾沿岸の海上防衛拠点として築かれたと伝わる。駿河湾に突き出した半島の岬に位置し、水軍の基地として機能する水城であった。1568年(永禄11年)に武田信玄が駿河へ侵攻すると、今川氏が没落し、長浜城は武田氏の支配下に入ったとされる。武田氏はこの地を駿河湾制海権確保のための重要拠点と位置づけ、武田水軍の根拠地として整備した。1580年代には駿河湾をめぐって武田水軍と北条水軍が激しく争い、長浜城周辺の海域が主要な戦場のひとつとなったと記録される。1582年(天正10年)の武田氏滅亡後は北条氏の支配を経て、豊臣政権による天下統一とともに城として…
武田信玄の駿河侵攻(1568年)に伴い、長浜城は武田水軍の駿河湾支配の拠点となった。武田水軍はこの城を足がかりに北条水軍と駿河湾上で激しく争い、海上覇権をかけた戦いが繰り広げられた。信玄の海への野望を象徴する城跡である。
今川義元は駿河湾を支配する水軍を擁し、長浜城周辺は今川水軍の活動範囲であった。義元が桶狭間で討たれ今川氏が衰退すると、この海上拠点も武田・北条の争奪の場となった。義元時代の海上支配の遺産が、その後の戦国の争乱を招いた。
📱
アプリでもっと便利に
GPS自動スタンプ・オフライン閲覧・推し活機能