1945年(昭和20年)8月9日午前11時2分、アメリカ軍のB-29爆撃機「ボックスカー」が投下した原子爆弾「ファットマン」が長崎市松山町上空で爆発した地の近くに造られた平和公園。本来の主要目標は小倉であったが悪天候のため長崎に変更された。プルトニウム型爆弾の爆発により、爆心地から半径4km以内はほぼ全滅し、推定7万名以上が1945年末までに死亡した。平和公園の中心にそびえる平和祈念像は北村西望の作で、右手は原爆の脅威を、左手は平和を指し示す象徴的なポーズをとる。長崎原爆資料館では被爆の実態が詳細に展示され、「ノーモア・ナガサキ」のメッセージが世界に発信されている。長崎は江戸時代から日本唯一の対外開放地として国際都市であり、多くの外国人・キリスト教徒・朝鮮人強制連行者たちも被爆した。毎年8月9日の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典には各国の代表が参列する。