鎌倉〜南北朝期に**豊島氏**が石神井川支流沿いの要害の地に築城した中世山城の跡で、平安末期以来秩父平氏豊島氏の本拠地の一つとして機能した。文明9年(1477年)、江戸城築城で知られる**太田道灌**が豊島氏の石神井城・平塚城とともに練馬城を攻略し、豊島泰経・泰明兄弟を滅亡させた**江古田・沼袋原の戦い**の舞台として南関東の中世戦国史に名を残す。本丸・二の丸・堀切跡は近代まで**「としまえん古城の塔」**として遊園地の名物となっていたが、2020年の「としまえん」閉園後は石神井川沿いの「どんぶり坂(伝練馬城堀遺構)」にのみ遺構が残り、現在は都立練馬城址公園として整備計画が進行中。豊島氏滅亡の最後の舞台を今に伝える練馬区中核の歴史遺構。