白鳳年間に役小角が八溝山頂に開いたと伝わり、のちに荒廃したが大同2年(807年)に空海が中興し、自刻の十一面観音を本尊として安置したという。鎌倉時代には源頼朝の崇敬を受け、坂東三十三観音第二十一番札所として霊場化した。室町期には壮大な伽藍を誇ったが、寛永20年(1643年)の火災で焼失、万治3年(1660年)に再建。明治13年(1880年)の山火事で再び失われ、現在は観音堂など数棟を残すのみとなった。標高1022mの八溝山八合目に位置するため、坂東随一の難所札所として「八溝知らずの偽坂東」(八溝に登らずして坂東を語るなかれ)と俚諺に詠まれてきた。冬季は積雪のため参拝困難で、納経は別途下界の里坊…