二本松城
二本松城
福島県
畠山氏7代の居城を伊達政宗が攻略、戊辰戦争で二本松少年隊が散った奥州の名城・日本100名城
創建
1414
種別
アクセス
JR二本松駅から徒歩約20分
福島県二本松市郭内3丁目
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基本情報
創建 1414
612年目
概要
「霞ヶ城」とも呼ばれる二本松市の山城。応永21年(1414年)に畠山満泰が築き、二本松(畠山)氏7代の居城となったが、天正14年(1586年)に伊達政宗が攻略して畠山氏は滅亡した。江戸時代は丹羽氏10万石の居城として近世城郭に整備された。慶応4年(1868年)の戊辰戦争では、藩主不在のなか12歳から17歳の少年62名が「二本松少年隊」として出陣し多くが戦死した悲劇の地として広く知られる。春の桜と野面積みの石垣が美しく、日本100名城に選ばれた国指定史跡として福島県中部を代表する城跡公園になっている。
由緒
二本松城は応永21年(1414年)、畠山満泰が二本松に築城し、以後二本松(畠山)氏7代の居城となった。天正14年(1586年)、父・輝宗を殺された遺恨もあった伊達政宗が攻略し、二本松氏は滅亡した。豊臣秀吉の奥州仕置後は蒲生氏・上杉氏の支城として城代が置かれ、寛永20年(1643年)に丹羽光重が10万700石で入封して近世城郭として整備、以後幕末まで丹羽氏の居城となった。慶応4年(1868年)の戊辰戦争では、藩主・丹羽長国が不在のなか家臣たちが新政府軍に抵抗。兵力不足から12歳から17歳の少年62名が出陣し、多くが戦死した。この悲劇は二本松少年隊として語り継がれている。明治6年(1873年)の廃…
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関連する歴史的事件
1

1585 年
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