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二本松城
二本松城
創建
1414
種別
アクセス
JR二本松駅から徒歩約20分
福島県二本松市郭内3丁目
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基本情報
創建 1414
612年目
概要
「霞ヶ城」とも呼ばれる二本松市の山城跡。応永21年(1414年)に畠山満泰が築城し、その後二本松氏・伊達政宗・加藤氏・丹羽氏と城主が変遷した。戊辰戦争では12歳から17歳の少年62名が「二本松少年隊」として出陣し多くが戦死した悲劇の地として広く知られる。春の桜と野面積みの石垣が美しく、日本100名城にも選ばれた国指定史跡として福島県中部を代表する城跡公園になっている。
由緒
二本松城は応永21年(1414年)、畠山満泰が二本松の地に築城した。戦国時代には伊達政宗に攻められ落城。江戸時代は丹羽氏10万石の居城として整備された。1868年の戊辰戦争では、藩主・丹羽長国が不在の中、家臣たちが新政府軍に抵抗。兵力不足から12歳から17歳の少年62名が出陣し、多くが戦死した。この悲劇は二本松少年隊として語り継がれている。

関連する歴史的事件
1

1585
粟ノ巣の変跡(伊達輝宗横死の地)
1585年(天正13年)10月、伊達政宗の父・輝宗が二本松義継に拉致され、政宗の命令で撃たれたとされる「粟ノ巣の変」の現場。二本松城主・義継が降伏交渉中に突如輝宗を拉致して連れ去ろうとしたため、政宗は父もろとも義継を討ち取るよう命じた。父の死を見届けた政宗はわずか19歳で仙台藩の当主となり、翌年には小手森城の撫で斬りを行うなど急速に勢力を拡大していく。この事件が政宗の苛烈な行動の原点となったという見方もある。現在、事件の現場とされる二本松市の山間部に石碑が建てられており、訪れる人は少ないが東北戦国史の重要な転換点として歴史ファンに知られる。輝宗の横死は政宗の人生に深い影を落とした悲劇の現場。
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