[ まだ写真がありません ]
最初の一枚を投稿しませんか
能勢電鉄「妙見口」駅からケーブルカー+リフトで山頂、または車で参道経由
兵庫県川西市黒川字能勢妙見山1-1
Google Map で開く ↗
受験合格・学業成就・論文執筆・書道上達。天神信仰(菅原道真公)ゆかりの天満宮に多い。
御祭神「妙見大菩薩(北辰菩薩)」のご神徳に由来
能勢妙見山(のせみょうけんざん)は兵庫県川西市黒川と大阪府豊能郡能勢町の境にある標高660mの妙見山山頂に立つ日蓮宗の寺院で、正式名称は「無漏山真如寺境外仏堂・能勢妙見山」。北極星・北斗七星を神格化した妙見大菩薩を本尊とし、関西における妙見信仰の総本山的存在として知られる。神仏霊場巡拝の道第60番。能勢氏(清和源氏多田流)がこの地を本拠としたことから「能勢の妙見さん」と呼ばれ、武家の守護神として崇敬を集めてきた。江戸時代には大坂をはじめ近畿一円から参詣者が押し寄せ、「妙見講」という参拝講組織も全国に広がった。境内には信徒会館「星嶺(せいれい)」(建築家・高松伸設計、星のかたちを模した近未来的建築)が建ち、伝統と現代建築が融合する独特の景観を呈する。妙見山ハイキングコースの起点でもあり、自然と信仰の両方を楽しめる関西人気の参詣地。勝海舟・坂本龍馬ら幕末の志士の崇敬も伝わる。
能勢妙見山の起源は、平安時代末期、清和源氏多田流の能勢頼次(よりつぐ、1562-1626)の祖先が妙見山に妙見大菩薩を勧請したのが始まりと伝わる。能勢氏は摂津・能勢を本拠とする武家で、北極星信仰を一族の守護として代々篤く奉斎した。慶長8年(1603年)、能勢頼次は徳川家康に仕えて関ヶ原の戦功により旗本に列せられ、妙見山の整備を進めた。寛永年間(1624-1644年)、頼次の子・頼之が日乾上人を招き、当寺を日蓮宗の寺院として正式に開山した。これが現在の無漏山真如寺の起源で、能勢妙見山は真如寺の境外仏堂として位置づけられた。江戸時代を通じて能勢氏の手厚い保護のもと、妙見信仰は大坂・摂津・河内・播磨…
勝海舟は父・勝小吉から妙見大菩薩への信仰を受け継ぎ、咸臨丸太平洋横断(1860年)や江戸無血開城(1868年)の前にも妙見への祈願を行ったと伝わる。能勢妙見山は勝家三代にわたる信仰の本山として崇敬され、東京の能勢妙見山別院も同じ信仰圏に属する。海舟の波乱万丈の生涯を支えた精神的支柱として妙見信仰は重要な意味を持っていた。
坂本龍馬は若い頃に勝海舟と出会い、海舟の妙見信仰の影響を受けたと伝わる。妙見大菩薩は北極星の神格化で「方位の守護神」とされたため、海運・船舶の道を志す龍馬にとっても通じる神格であった。神戸海軍操練所の同志たちとともに妙見信仰の世界観を共有していたとされる。
📱
アプリでもっと便利に
GPS自動スタンプ・オフライン閲覧・推し活機能