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桶狭間古戦場
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桶狭間古戦場
愛知県
創建
1560
種別
史跡
アクセス
名鉄中京競馬場前駅徒歩10分
愛知県豊明市栄町南舘11-1
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基本情報
史跡
創建 1560
466年目
概要
名古屋市緑区および豊明市に位置する、永禄3年(1560年)の「桶狭間の戦い」の古戦場跡。今川義元率いる大軍(約2万5千)に対し、織田信長が奇襲によって義元を討ち取った歴史的な合戦の地。この戦いで今川義元が討死したことが、家康の独立のきっかけとなった。現在は名古屋市と豊明市にそれぞれ「古戦場跡」が整備されており、どちらが本来の戦場かについて論争が続く。信長の天下統一への転換点として日本史上最も有名な合戦地のひとつである。
由緒
永禄3年(1560年)5月19日、尾張国桶狭間において「桶狭間の戦い」が勃発した。駿河・遠江・三河を領する今川義元は総勢約2万5千とも伝わる大軍を率いて上洛の途につき、尾張へ侵攻した。これに対し、尾張の織田信長はわずか数千の兵力で出陣し、豪雨に乗じた奇襲によって今川義元の本陣を急襲、義元を討ち取ることに成功した。この勝利により信長は一躍天下にその名を知らしめ、その後の天下統一への第一歩を踏み出したとされる。また、今川氏の支配下にあった徳川家康(当時は松平元康)にとっても、この義元の討死が独立・自立のきっかけとなったとされる。江戸時代以降、戦場跡は史跡として認識されるようになり、やがて名古屋市緑…
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1560
桶狭間の戦い
1560年(永禄3年)、尾張の織田信長が駿河の今川義元率いる大軍を奇襲攻撃で撃破した戦い。今川義元は2万とも言われる大軍を率いて上洛を目指していたが、信長はわずか2千余りの兵でその本陣を強襲。義元は討ち取られ、戦国最大の番狂わせとして後世に語り継がれる。この勝利により信長は尾張を完全制圧し、天下統一への第一歩を踏み出した。現在の愛知県豊明市と名古屋市緑区にまたがる地に古戦場跡が整備されている。
もっと詳しく →
織田信長とのつながり
永禄3年(1560年)5月19日、今川義元率いる約2万5千の大軍が尾張に侵攻した際、信長はわずか2千余の兵で熱田神宮に祈願した後、暴風雨の中を桶狭間に急行し、義元の本陣を奇襲した。義元を討ち取ったこの勝利は、無名の尾張の小大名だった信長を一躍天下に知らしめ、天下統一への第一歩となった。
徳川家康とのつながり
永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いで今川義元が討たれると、人質として今川氏に従っていた松平元康(家康)は独立への契機を得た。義元討死の報を受けた家康は岡崎城に帰還し、三河の自立へと歩み始めた。桶狭間は家康の人生を大きく変えた転換点の地でもある。

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