五月山は戦国時代、摂津池田氏の本拠地を背後から守る丘陵として軍事的役割を担ったとされる。池田氏は細川氏の被官として摂津北部に勢力を張り、「池田衆」と呼ばれた武将団を率いた。天正元年(1573年)、織田信長の摂津平定により池田氏は屈服し、五月山一帯も信長の勢力圏に組み込まれた。江戸時代には池田は清酒「池田酒」と出稼ぎ髪結い職人の供給地として摂津随一の賑わいをみせ、五月山は薪炭の産地として地域経済を支えた。山名の由来は五月の候に新緑が山腹を染める様子によるともいわれ、古代の歌枕「さつき山」に由来するとの説もあるが確かなことは分かっていない。