1616年、松倉重政が島原城を築城するにあたり、城下町の整備とともに武家屋敷街が形成されたとされる。下の丁・中の丁・上の丁にわたる通りは「鉄砲町」とも呼ばれ、島原藩の下級武士(足軽・鉄砲隊)の居住区として機能した。1637〜38年の島原の乱後、松倉家に代わり高力氏、次いで徳川幕府譜代の深溝松平氏が藩主となり、以後明治維新まで同家が藩政を担った。この間も武家屋敷街の景観は維持され、通りの中央を流れる湧水の水路は生活用水として活用された。明治以降は武士制度の廃止により武家としての機能は失われたが、土塀・屋敷・松並木が残された。昭和後期から平成にかけて島原市が景観保全・整備を進め、山本邸・篠塚邸・鳥…