創建年代は明らかでないが、新府城の築城と深い関わりをもつ神社として伝わる。天正9年(1581年)、武田氏最後の当主・武田勝頼は七里岩台地の縁辺に新府城を築き、甲斐の新たな本拠とした。当社はその際に城の鎮護神として建立されたと伝えられる。しかし天正10年(1582年)3月、織田信長・徳川家康連合軍の侵攻を前にして勝頼は城に火を放ち、自ら天目山方面へ落ちのびた末に滅亡した。武田氏の滅亡後も神社は地域の人々によって守り継がれ、近世を通じて中田町一帯の氏神として信仰を集めてきたとされる。明治時代の神社整理令以降は近代社格制度のもとに位置づけられ、地域の鎮守として祭祀が継続された。現在も新府城址(国指定…