天正9年(1581年)、武田氏最後の当主・武田勝頼は、甲府の居館であった躑躅ヶ崎館から本拠を移すべく、韮崎の七里岩台地上に新府城の築城を開始した。城は馬出し・丸馬出しといった近世的な高度な築城技術を取り入れた構造を持ち、当時の最先端の縄張りが施されたとされる。しかし翌天正10年(1582年)2月、織田信長・徳川家康連合軍による甲州征伐が始まると、勝頼は家臣団の離反が相次ぐなかで城に火を放ち、岩殿城(大月市)を目指して退去した。完成を見ぬまま焼き捨てられた城は、そのまま廃城となった。同年3月、勝頼は天目山(甲州市)で自刃し、武田氏は滅亡した。江戸時代以降は遺構が地中に埋もれながらも保存され、明治…