袖ヶ崎は目黒川が東京湾に注ぐ河口部近くに発達した低地の村で、江戸時代には漁業・農業を営む人々が暮らしていた。袖ヶ崎神社はこの旧袖ヶ崎村の産土神として創建され、村人たちの航行安全・豊漁・五穀豊穣を祈る鎮守として機能してきた。明治期の地租改正・市区改正を経て袖ヶ崎の地名は行政上消滅したが、神社の名にその旧地名を留めている。東五反田一帯は明治以降に鉄道・工場・住宅が混在する近代的な市街地へと変貌し、大正12年の関東大震災でも大きな被害を受けた。戦後は商業・住宅地として再開発が進んだが、袖ヶ崎神社は地域の守護神として現在も参拝者を集めている。