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達谷窟毘沙門堂(平泉)
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達谷窟毘沙門堂(平泉)
岩手県
創建
801
種別
寺院
アクセス
JR東北本線平泉駅から車約10分
岩手県西磐井郡平泉町平泉北沢16
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基本情報
寺院
創建 801
1225年目
御祭神・御本尊
毘沙門天
宗派
天台宗
ご利益
商売繁盛
武運長久・勝運
厄除け・災難除け
金運・財運
事業繁栄・開店繁盛・取引成功。稲荷神社や恵比寿神社で広く祈願される。
御祭神「毘沙門天」のご神徳に由来
概要
延暦20年(801年)、坂上田村麻呂が蝦夷征討の戦勝を感謝して毘沙門天を祀ったのが始まりとされる。岩窟に刻まれた磨崖仏と、岩肌に張り付くように建てられた毘沙門堂が圧倒的な景観を生む。奥州藤原氏の時代には藤原清衡の崇敬を受け、伽藍が整備された。源義経が奥州へ落ち延びた際にも参詣したとされる。岩窟内には田村麻呂の顔を模したといわれる磨崖仏が刻まれ、現在も「岩面大仏」として参拝者に親しまれている。平泉の世界遺産エリアに近接し、中尊寺・毛越寺とともに訪れる観光客が多い。
由緒
延暦20年(801年)、征夷大将軍・坂上田村麻呂が蝦夷征討の戦勝を感謝し、毘沙門天を祀ったのが創建とされる。田村麻呂は自ら掘らせたともいわれる岩窟に堂宇を営み、以後、東北随一の毘沙門天信仰の聖地として栄えた。平安時代末期、奥州藤原氏初代・藤原清衡の深い崇敬を受け、伽藍が大きく整備された。また、源義経が奥州へ落ち延びる途次に当堂へ参詣したとも伝わる。岩窟に刻まれた磨崖仏は田村麻呂の顔を模したとされ、「岩面大仏」として信仰を集めてきた。中世以降も藤原氏滅亡後の戦乱を経ながら法灯は継承され、近世には仙台藩の庇護を受けたと伝わる。明治期の廃仏毀釈の影響を受けつつも法灯は守られ、現在は天台宗系の達谷西光…
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源頼朝とのつながり
源頼朝は1189年に奥州藤原氏を滅ぼしたが、中尊寺金色堂は破壊を免れた。頼朝の奥州征討により奥州藤原氏百年の栄華は終焉を迎えたが、金色堂はその記憶を現代に伝える。

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