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毛越寺
岩手県
創建
850
種別
寺院
アクセス
岩手県西磐井郡平泉町平泉字衣関58
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基本情報
寺院
創建 850
1176年目
宗派
天台宗

お祭り・行事
1

1月
20
毛越寺延年の舞
平安時代から伝わる重要無形民俗文化財。浄土庭園を舞台に優雅な舞が奉納される。
概要
世界遺産・平泉を代表する天台宗の寺院。嘉祥3年(850年)に慈覚大師円仁(最澄の直弟子)が開基し、奥州藤原氏二代・基衡と三代・秀衡の時代に最盛期を迎え、40の塔堂と500の僧坊が立ち並んだという。浄土庭園は平安時代の庭園遺構として日本最大級を誇り、大泉が池を中心に「この世の浄土」を表現した雅やかな景観が広がる。毎年5月には平安の優雅な文化を偲ぶ「曲水の宴」が開催され、2011年に世界文化遺産に登録された。
由緒
嘉祥3年(850年)、慈覚大師円仁の開基。奥州藤原氏二代・基衡、三代・秀衡が伽藍を整備し最盛期には40もの塔堂と500の僧坊を有した。源頼朝の奥州征伐後に衰退したが、庭園遺構は現存する。2011年世界遺産登録。

関連する歴史的事件
2

1189
奥州合戦
1189年、源頼朝が奥州藤原氏を滅ぼした一連の軍事作戦。頼朝の命を拒んで義経をかくまった奥州藤原氏の藤原泰衡を討つことを名目に、頼朝は二十万余騎ともいわれる大軍を率いて奥州に進撃した。藤原泰衡は各地で抵抗したが本拠・平泉を捨てて逃走し、家人に裏切られて殺された。わずか一ヶ月余りで奥州全土が制圧され、百年に及ぶ奥州藤原氏の繁栄は終焉を迎えた。この合戦で頼朝は全国の武士を動員する権威を示し、武家政権の全国支配を確立した。中尊寺金色堂はその栄華の記憶を今に伝える。
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1189
義経の悲劇(判官贔屓)
平氏討滅の立役者でありながら、兄・源頼朝に追われた源義経の悲劇的な最期。壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼした義経は朝廷から検非違使に任じられたが、頼朝の許可なく官職を受けたとして激怒され、追討を命じられた。奥州平泉の藤原秀衡のもとに逃れたが、秀衡の死後その子・泰衡に攻められ、1189年閏4月30日、衣川館(岩手県平泉町)で妻子を斬った後に自害した。31歳の若さで散った義経の生涯は「判官贔屓」の代名詞となり、以来900年にわたって日本人に愛され続けている。
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源頼朝とのつながり
1189年、頼朝は弟・義経をかくまった奥州藤原氏を攻め滅ぼした(奥州征伐)。毛越寺の最盛期を支えてきた藤原氏の庇護が失われると、40の塔堂と500の僧坊を誇った大寺院は急速に衰退し、堂宇はことごとく失われた。現代に残るのは浄土庭園の遺構だけである。

ゆかりの人物
1

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