龍野城の起源は明応8年(1499年)、赤松氏の支族・赤松村秀が鶏籠山山頂に築いた山城に始まる。戦国期には羽柴秀吉の播磨攻略に伴い蜂須賀正勝・福島正則らが相次いで城主となり、播磨支配の拠点として機能した。関ヶ原の戦い(1600年)後、水軍で名を馳せた脇坂安治が5万石で入封。その子・忠政が山頂の詰城を廃して山麓の平山城を整備し、現在の城下町の骨格を形成した。元禄期に脇坂氏が信州飯田へ転封となった後も本多・三枝氏ら譜代大名が治め、のちに脇坂氏が再び戻るという変遷をたどった。明治の廃城令で大部分の建物が失われたが、昭和49年(1974年)以降に本丸御殿・隅櫓・埋門が復元整備され、「播磨の小京都」の中核…