寺伝によれば、聖武天皇が病に臥せった折、夢のお告げで「西南の方角に観世音菩薩が出現する」と告げられた。天皇の命を受けた行基が和泉国へ向かうと、白鳥が羽を落として道を示し、さらに16人の童子に導かれて水間の地に至った。そこで現れた龍神から一寸八分(約6cm)の閻浮陀金の聖観音像を授かり、天皇に捧げると病は全快。天平16年(744年)、行基が当地に堂宇を建立したのが水間寺の起源とされる。建久元年(1190年)には七堂伽藍が整備されたが、天正13年(1585年)、豊臣秀吉の紀州征伐に際し根来寺方に加担したとして堀秀政の軍勢に焼き討ちされた。文禄5年(1596年)には織田秀益によって本堂が再建された。…