砥鹿神社の創建年代は明らかでないが、社伝によれば上古の昔より本宮山(標高789m)を御神体山として信仰が営まれてきたと伝わる。奥宮は山頂に鎮座し、里宮(本社)は麓の一宮町に置かれる二社一体の構造を持つ。平安時代には三河国一宮として国司による奉幣が行われるようになり、延喜式以来の格式ある社として三河国内で広く崇敬を集めた。中世には武家からの崇敬も厚く、三河を支配した武将たちによる社領の寄進や社殿の修造が行われたと伝わる。江戸時代には徳川幕府および尾張・三河の諸藩からも崇敬を受け、社勢が保たれた。明治時代には近代社格制度のもとで国幣中社に列せられ、三河国総鎮守としての地位が公的に認められた。戦後は…