脇町は中世より吉野川流域の交通要衝として栄え、阿波国の物資集散地としての機能を担っていた。近世初頭には阿波藩(蜂須賀家)の庇護のもと、吉野川を利用した水運によって商業が活発化した。17世紀後半から18世紀にかけて、阿波藍の生産と流通が急速に拡大し、脇町は藍の一大集散地として繁栄を極めた。1707年頃には町並みの骨格が形成されたとされ、財をなした藍商たちは防火・ステータスの象徴として妻壁に「うだつ」を競って設けた。幕末から明治期にかけても藍商の勢いは続き、重厚な商家建築が次々と建てられた。しかし明治末期に化学染料が普及すると藍産業は急速に衰退し、町の発展も停滞した。その結果、大規模な開発を免れた…