鞆の浦は古代より瀬戸内海の要衝として知られ、潮待ちの港として栄えた。8世紀には万葉集に「鞆の浦」が詠まれており、その名が文献に登場する。中世には室町幕府15代将軍足利義昭が1576年に鞆に拠り、ここで反織田信長の令旨を発したとされ、「鞆幕府」とも呼ばれる。近世には江戸幕府の朱印地となり、朝鮮通信使の寄港地として整備が進んだ。対潮楼を訪れた朝鮮通信使は眼前の弁天島・仙酔島の景観を「日東第一形勝」と称えたと伝わる。1859年(安政6年)には高さ5.5mの常夜燈が建立され、雁木・船番所跡・焚場跡・波止とともに江戸期の港湾施設が完存する。明治以降も港町としての景観が保たれ、1994年に国の重要伝統的建…