鶴ヶ岡城の地には、中世より大宝寺氏(武藤氏)が築いた大宝寺城が存在したとされ、長く出羽国庄内地方の中心的な拠点であった。戦国時代には上杉氏の支配下に入り、関ヶ原の戦い(1600年)後は最上義光がこの地を掌握し、支城として機能させた。元和8年(1622年)、最上氏が改易されると、徳川譜代の酒井忠勝が庄内14万石に入封し、城を大規模に整備して鶴ヶ岡城と称した。以降、明治維新まで約250年にわたり酒井家14代が城下町鶴岡を統治した。藩政期には城の近傍に藩校・致道館(1805年創設)が設けられ、藩士の教育拠点となった。明治4年(1871年)の廃藩置県、続く廃城令により城郭建築は失われたが、城跡は鶴岡公…